1989-06-14 第114回国会 衆議院 建設委員会 第5号
明治二十二年、一八八九年四月に甲武鉄道として新宿−立川間が開業された。その当時は上り下りともに午前が二本、午後が二本ということで今考えるとびっくりするような状況なんですが、そんなことで地元の地主さんたちも非常に喜んで、それこそ土地買収などというのはしないでどうぞ使ってくれ、使ってくれということで、まさに民有地へその鉄道が通るというような状況でスタートしたらしい。
明治二十二年、一八八九年四月に甲武鉄道として新宿−立川間が開業された。その当時は上り下りともに午前が二本、午後が二本ということで今考えるとびっくりするような状況なんですが、そんなことで地元の地主さんたちも非常に喜んで、それこそ土地買収などというのはしないでどうぞ使ってくれ、使ってくれということで、まさに民有地へその鉄道が通るというような状況でスタートしたらしい。
あの甲武鉄道というものが昔あったおかげで膨大な人口があそこに集まった。便利にすれば必ず集まるのです。だから、これを作ってそこに人や店やあるいは工場か移転するようになったら、ますます輻湊する、一ぱいになる。これでは私は解決ではないと思う。ですから大きくいえば国の姿、国の人口配分、小さくいえば東京の人口のあり方というものをこうするのだ。
これが刺戟いたしまして、十七年には阪堺鉄道ができまして、それから引続いて山陽鉄道ができまして、甲武鉄道ができまして、関西鉄道ができまして、九州鉄道等、いろいろな大中の会社ができたのであります。